超高齢社会を生きる/シリーズ4 後期高齢者医療
◇終末期、どこで迎えますか--「在宅」も選択肢に
http://mainichi.jp/life/health/fukushi/news/20080316ddm010100155000c.html
老人がニコニコしている国が、きっと幸福な国だと思う。そうであれば、若者も、将来への不安を抱くことなく、毎日の生活を送ることができる。戦後、わが国は、人生50年の時代から、80年、90年の時代へと、平均寿命が長足の伸びを示し、超高齢社会を迎える。が、老人は、本当に幸せそうな顔つきをしているのだろうか。高齢化の進展があまりにも速すぎたがために、誰もが戸惑いを隠せないというのが、実情のような気がする。【岩石隆光】
◇74歳までは元気を維持
世界最長寿を誇る日本人の平均寿命は、男性79・00歳、女性85・81歳(06年)。日本の総人口に占める65歳以上の高齢者の割合は、20・6%に達し、それが2055年には40・5%を超えると予測されている。
高齢者は、74歳までが前期高齢者、75歳以上が後期高齢者とされ、生活をするうえで、何らかの援助が必要な人と考えられるが、近年の前期高齢者は、心身ともに若々しく壮年とさほど変わらない元気さを維持している人が目立つようになった。実際、年齢別の日常生活活動度(ADL)を経年的に比較してみると、この10年で、ADLはちょうど10年若返った。京都大学の松林公蔵教授の研究によって、00年に75歳以上の人が維持していたADLは、92年には65歳以上の人が持っていた能力と同じであることが、わかっている。
杏林大学医学部高齢医学教授の鳥羽研二さんは、「平均寿命を超えた人を高齢者と考えたらよい」と提案する。尿失禁、難聴、認知症など老年症候群といわれる症状を2、3持っていると、生活の依存度は3~6倍高くなる。そのような不都合によって、ADLが損なわれた状態こそが高齢者であり、平均寿命を超えたころから、顕著になるからだ。
実際、65歳を過ぎると、脱水、骨関節変形、視力低下、発熱などがあらわれ、80歳を超えるとADL低下、骨粗しょう症、嚥下(えんげ)困難などを訴える高齢者が目立つようになる。
◇大きな病気、老化を促進
高齢者の健康度には個人差が大きく、カレンダー年齢をもとにした対策だけでは、限界がある。鳥羽さんたちの研究によると、老化は、大きな病気、緊急入院によって、一気に加速される。さらに2回目の入院を経験すると拍車がかかり、筋萎縮(いしゅく)、関節拘縮、褥瘡(じょくそう)(床ずれ)、骨粗しょう症、便秘・尿失禁などの廃用症候群があらわれる人が多い。
「病気が生活レベルを低下させ、落ちたレベルが次の病気の火種となる悪循環に陥ることを防ぐため、肺炎であっても高熱が下がれば、起きて、体を動かすことが重要と考えられるようになった。2~3週間も寝たきりが続くと、筋肉の萎縮が進行、退院後のADLは極端に悪いものとなるからだ」(鳥羽さん)。健康力の高まりに合わせ、高齢の入院患者であっても、元気に在宅復帰を目指す医療が、行われるようになりつつある。
また加齢とともに患う病気が多くなり、飲まなければならない薬も増えるが、高齢者は、腎臓の機能も衰え、薬の排せつ力が落ちるため、服薬数が増えれば増えるほど、副作用の発生頻度が高くなる。それを防ぐためには、1回の用量を減らすか、1日量を減らす、あるいはより安全な他の薬に変更する必要がある。
例えば、漢方からのアプローチは、一つの症状に一つの薬を飲むのではなく、複数の症状からなるある状態に対して処方されるため、薬が少なくてすむというメリットがあるなど、高齢者医療には欠かせないものだ。また加齢とともに発症リスクが高くなる認知症、その周辺症状である徘徊(はいかい)、幻覚、睡眠障害などに抑肝散が有効であることが、わかってきた。抑肝散は、本来赤ちゃんの夜泣きの治療に用いられていたものだが、幻覚や興奮を穏やかにする働きがあり、それが認知症治療に応用された。超高齢社会の医療のあり方が、治療の現場でも、模索され、新しい知見が次々と報告されている。
◇死見据えた初の仕組み
この4月から、75歳以上を対象とした後期高齢者医療制度がスタートし、日本の医療は、超高齢時代へと大きくシフトする。ホームケアクリニック川越院長の川越厚さんは、死を見据えた初めての医療システムと高く評価している。「着陸態勢に入った高齢者の生活を理解し、最良の医療を提供する時代となった」と語る。
川越さんは、大学病院時代には婦人科がんを専門としていたが、2000年に、東京の下町である墨田区に開業、実地医家として、在宅ホスピス活動を、看護師、ボランティアの人たちとチームを組んで行っている。
この20年で、在宅医療を行うための環境が整備されてきた。病院で亡くなる人が、相変わらず80%を超えている状況だが、在宅で終末期を送りたいという患者・家族の願いには、十分に応えられるだけの態勢が整いつつある。ヘルパーに支援を頼むことは、特別なことではなくなった。また痛みを管理するためのモルヒネ、高カロリー輸液による栄養補給、呼吸困難に対する在宅酸素療法の利用など、家庭でも、病院と同じ条件での医療提供が可能となった。
家族だけの力で患者をみていた時を100とすれば、40~50の力を出せば、在宅での医療ができるようになった。以前は、介護のために仕事をやめてしまう人が多かったが、ヘルパーを頼むことで仕事を続けることができる。たとえ1人住まいの高齢者であっても、充実した在宅医療を受けることが可能となっている。
また終末期の在宅医療をスムーズに行うためには、医療者側と患者側が情報を正しく共有することが不可欠だ。患者側は、どういうことを望んでいるかを、わだかまりなく、はっきりと伝えることだ。医療者側にまかせっきりで、ひとたびトラブルが起これば、一方的に医療者側を非難するだけでは、満足できる終末期医療を望むすべはない。
「在宅医療への支援状況には、確かに地域差が認められるが、患者側の希望に対して、十分対応できるだけの態勢が、どこでも整っている。どのような終末期を送りたいかを明確にして、その方法を探り、その希望を医療者側に伝える。患者側も主体性を持つことだ」と川越さんは強調する。
このシリーズの2回(1月20日付)で、将来自分が受ける医療に対して希望を伝える「事前指示書」の必要性を述べたが、後期高齢者医療制度のスタートにあたり、私たちは、自分自身の問題として、まず終末期医療のあり方を考えることを求められているとも言える。
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◇「生涯現役」を超えて--東京大学教授(老年学)・秋山弘子さん
日本は人口の3分の1を高齢者が占める時代が、目前に迫っている。しかも、80歳代後半から、90歳代、100歳代の超高齢者が急増している。
人生80年といわれるようになった80年代後半から、先進国では生涯現役を目標とするsuccessful agingの考え方が、広く人々に受けいれられるようになった。たとえ高齢になっても、健康で自立し、生産活動に従事して、社会に貢献する。すなわち高齢者が生き生きとして働ける社会こそが理想とされた。その背景には、キリスト教プロテスタントの教理の影響があった。実際、個人差はあるが前期高齢者といわれる75歳くらいまでは、医学の進歩や食生活の改善などが、それを可能とした。
しかし、超高齢期を迎えると、多くの人々にとって、完全なる自立を維持することは難しく、老いを受け入れなければならないのである。が、successful agingにとって、自立し、生産的でなくなってしまうことは、落伍(らくご)を意味する。自立がイデオロギー化してしまった欧米先進国では、周囲からの援助が最も必要な時に、人に支援を頼む、依存をすることを避けるようになり、結果的に高齢者を孤立させることになった。
こうした画一的なsuccessful agingの理念が、超高齢社会ではかえって高齢者を不幸にしていると指摘されるようになった。現在、老いを自然の摂理とする仏教に代表される東洋の死生観や、人とのつながりを重視する共同体の視点からとらえ直してみようという動きがある。
超高齢者研究はスタートしたばかりだが、超高齢社会に対応する社会システムを作るための学際的な研究が、今、強く待ち望まれている。長寿社会のトップを走る日本から、積極的に発言をしていく時代が来たように思う。
毎日新聞 2008年3月16日 東京朝刊
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